視線を浴びて。

視線を浴びて。

古びた時計、忘れられた郵便ポスト、色あせた商店街。
残念なことに形あるものはどんどん古くなり、いづれ人々の脳裏から忘れられていく、、、のかもしれない。
新しさは保てない。時間がそうさせてくれない。
完璧は作れない。完璧への欲望が肥大化するだけ。不完全であることが唯一の完璧性を備える。

 

「作品は古びるのだろうか」

 

そう、アート作品も古くなるのだろうか。                                      確かにほとんどのアートは質量を備えた物質である。

いくら細心の注意を払い、最適な湿度と温度で保管を使用とも、古くなるのは常である。

 

しかし「古くなる」にはそれなりの時間が必要であろう。
古さというステイタスはそれなりの時間がかかってしまう。
また古くなるというには少し語弊があるかもしれない。

 

展覧会の展示物は日々、刻々と変化をしているように感じるのだ。

何がそう感じさせるのか。

 

それは、作品たちについた眼の数である。

どれだけわたしたち鑑賞者に見られたかによって作品の表情は変わる。

 

見られることによって作品はさらに創造される。

それは古びゆくことではないが、明らかに作品の上に視線が降り積もっていく。

積もりゆく視線の灰に埋もれゆく。

 

オープニングを迎えたばかりの展覧会と

修了間近の展覧会では空気がいささか違うだろう。

 

それは、視線という分子が増殖したかどうかの違いなのだ。

見られる為に生まれてきた彼らは見られることで自分の想像をも遥かに超えた

創造への変化をくるくると繰り返す。