第56回 夏の文学教室「文学の現在ー越境・往還することば」と麦茶。

第56回 夏の文学教室「文学の現在ー越境・往還することば」と麦茶。

2019年8月2日&3日とても夏らしい2日間

オランダから帰ってきて、羽田空港に降り立った瞬間、水分をたくさん含んだ空気が全身にまとわりついてきた、長いフライトで疲弊したカラダには少ししんどい。

ただいまという気持ちと、ああ帰ってきてしまったという気持ちが半々だった。
いや、正直に言えば、後者の方が強かったかな。
サラエボ、オランダ、韓国の人々との交流はとてもあたたかくて楽しかった。

と、こんな想いから早1週間。
毎夏に開催されている「夏の文学教室」に今年も参加してきました。

今年で第56回目を迎える。つまり56年の続いているの!
本が好き!近代文学好き!とか言っちゃってる私ですが、お恥ずかしながらこのイベントを知ったのは昨年のこと。そこで、まんまとハマったのであーる。

今年のテーマは「文学の現在ー越境・往還することば」。
6日間開催されるのだけど、わたしは最後の2日間にお邪魔しました。

8月2日(金)
柴田元幸「翻訳と日本語」
伊藤比呂美「芥川が見たかったもの」
藤沢周「今こそ、安吾!ーほんものの言葉」

8月3日(土)ー最終日
真藤順丈「沖縄の〈声〉を語るー叙事詩としての『宝島』」
柳美里「現在地から」
高橋源一郎「日本文学盛衰史 未来編」

それぞれに感想はあるけれど、自分の中で6回の講演で繋がったところ、交差したところを覚書としてここに残しておこうと思う。

「時間」との向き合い方と付き合い方、そして人生の流され方。

1日目に、伊藤比呂美さんが10年かけてハビアンと向き合いたい、人生で10年なんてすぐじゃないと話す。10年なんてすぐという言葉には、時間がたつのは早い!もうこんなに経っちゃったという焦りとか、哀しむ感じではなくて、1つのことを追求するにはそれくらいの時間が必要だし、自分の好奇心とむきあうには、たった10年でも足りないくらいよ~というポジティブな言葉だと感じた。すごいなあ・・・。今、自分の目の前に10年という時間を提示されたら、どうするだろ
う。あなたのその好奇心に10年を費やせますかって聞かれたらどうするだろう。振返ってみたら10年はあっという間だったという感覚になるかもしれないけれど、これには10年必要だとはじめから決めるのは勇気がいるように感じた。

そして夏の文学教室のトリを務められた高橋源一郎さんのお話。
例えば「天皇とはなんですか?」という質問に対してこりゃー時間がかかるなあと部屋を借りて、5000冊もの本を準備して、日々、読み、調べ、何年もかけて連載という形で返答をしたという。現代は質問に対して、YES/NOで答得ること、簡潔に応えることを求められる現代で、考えることができなくなってきていると危惧する高橋さん。さらに、高橋さんは、日本は記憶を風化をし、さらには同じことを繰り返すと仰った。今の日本が、あの時と同じ、あの時に近づいていると警笛を鳴らす。ここで、椹木野衣さんの「悪しき場所」を思い出さざるをえない。忘却の反復。

高橋さんは、自分は問いに対する答えは、じっくり丁寧に時間をかけたいとお話しされていた。

ハッとさせられる。わたしは、ある問に対して、本当に「考える」ことができているだろうか。目の前のTO DOリストにチェックをつけながら、「こなす」ことと「考える」ことの境界に思いを巡らしてみる。

柳美里さんの時間もそうかもしれない。
ラジオ出演のために通っていた、福島に移住するという決意。
臨時ラジオ局がなくなるその日まで、わたしは番組を続けますという約束を果たすため。移住してから、福島の方とのさらなる出会いやつながりから、現在は「フルハウス」という本屋さんを運営されている。

自分の人生と、人との約束と、人の人生とじっくりと向き合い考え、行動する時間。

柳さんはご自身のことを流れものだという。流れものだからこそ築ける縁もあるという。

流れものかあ。
わたしは、きちんと流れられているかなあ。
なんだかんだで、わたしはこうあらねばならないと、
自分のことを判断、規定して、
自由な流れを絶ってしまっているんじゃないかなあと思った。

そして、柴田元幸さんのお話。

LOST IN TRANSLATION
ソフィア・コッポラの映画。私の好きな映画。
柴田元幸さんの講演のキーとなるワードでした。
柴田さんとの出会いはポール・オースター。柴田さん訳のオースターを読んで以来、オースターが大好きになったとともに、柴田さん訳の文学作品を読むようになったの。最後に柴田さんがオースターを朗読してくれて、そりゃあもう泣けたよね。

きっと日々、行われているLOST IN TRANSLATION。夫との間、両親との間、会社の人々・・・様々なコミュニケーションに起きていることでしょう。しかし、そのLOST IN TRANSLATIONの部分、翻訳からこぼれ落ちた部分を考えあい、ぶつけ合い、生まれるものが大切なのかもしれないなあ。翻訳しきれない、わたしはあの人の言葉がわからないと逃げるのではなくて、さ。考える時間。

考えて流される。
流されて考える。

2日間、エネルギッシュな時間に身を置くことができて、お腹に力を入れて姿勢を正すことができたように思う。

帰り道、まだまだ暑い東京の街。
自販機で買った麦茶がやけにおいしかった。

《関連情報》
第56回 夏の文学教室〈文学の現在―越境・往還することば〉
https://www.bungakukan.or.jp/event/summer/

《夏の文学教室 主催の日本近代文学館さんの現在の企画展》
教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅲ──森鷗外「舞姫」とその時代
6月29日(土)―9月14日(土)
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/11971/