南方熊楠めぐり②熊楠の墓前にて。

南方熊楠めぐり②熊楠の墓前にて。

2016年9月17日

顕彰館から、高山寺も、そんなに時間はかかりません。

高山寺は、熊楠が眠っているところ。
そう、熊楠のお墓があります。

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田辺の市街地を一望できる高台にあり、弘法大師が開創したとされているお寺で、『弘法さん』の名で親しまれています。江戸時代建立の美しい多宝塔はじめ、広い境内には諸堂宇が立ち並んでいます。

長沢芦雪の「寒山捨得」や「木造聖徳太子考養之像」等の県指定の文化財が保管されており、海の見える墓地には、南方熊楠や植芝盛平の墓があります。熊楠の 菩提寺ですが、生前にもよく訪れ、とくにこの寺苑の一角にあった日吉神社(糸田の申神さん)境内から数多くの隠花植物を採集しました。この申神社の合祀と 神木の伐採が、熊楠の神社合祀反対運動のきっかけとなりました。
また、弘法大師が近くの淵(御影淵)に姿を写して彫ったといわれる弘法大師像にまつわる伝説も伝えています。

(公式webサイトより)
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な、なにっ!‘長沢芦雪の「寒山捨得」や「木造聖徳太子考養之像」等の県指定の文化財が保管’されているだと!

お寺に着くと、丁寧に「南方熊楠の墓」はこちらって、案内が各所に設置されています。
そのおかげで迷うことなく、熊楠のお墓までたどり着いた。標識見ずに、嗅覚だけを働かせていくほうがいいかもね。

南方熊楠。
大きすぎたり派手派手していたりは決してしていないお墓。
とっても普通のお墓。

ただ、とっても大きく見えたのは気のせいじゃないでしょう。
石に刻まれた,その名前は大変凛々しくいらっしゃいました。

これは教えてもらった話だけど、少し、熊楠の名前の中がえぐられている部分があります。
これは、波風で風化してしまったのではなく、熊楠みたいに頭がよくなりたいという
削る撮って持ち帰ってしまう負とがいたからだとか。

なるほど。
爪の垢でも煎じて飲めというわけですか。
しかし、お墓を削っちゃーいけないですお。

今、私は、縁あって、貴方さまのことを思う日々でございます。
貴方の想いを現代につなげたく、精進してまいりますと
線香をあげて、そっと手を合わせながら、想いを伝えた次第。

高山寺から臨む、田辺市と広い海はとても美しかったです。

心が静かになるひとときでした。

「高山寺は仏教院だが、ここに住んでいるもっと大きく深い何かが仏教を包み込んでいるという感覚に落ちてゆく。仏教が日本に伝来して今日に至る時間など、縄 文人たちが過ごした長い年月に比べれば大したものではない。彼らの祈りの膨大な積み重ねが、この場所の至る所に溶け込んでいる。その空気感が弥生人に受け 継がれ、仏教寺院となった今日も流れていることを感じる。
 たまたま仏教寺院がこの地をお借りしているだけで、縄文人の文化は今日のわれわれの文化の奥深くに脈々と流れている重要なものであると思う。この事に早くから気付いていた人がいる。南方熊楠である。
  神島や磯間日吉神社、高山寺にある糸田山王神社、龍神山は南北にほぼ一直線上に並び、天狗という共通の存在が介在している。熊楠が愛し守ろうとしたこれら の場所は、単に珍しい植物や粘菌を採取するためだけのものではなく、熊楠はここから太古の先住民たちの何かを感じ取り、人類共通の深層意識に潜む秘密を見 つけようとしていたのではなかろうか。
 てんぎゃん(天狗)と言われた熊楠の人並みはずれた嗅覚(きゅうかく)は、われわれには感じ取れない縄文人たちの痕跡を的確に見つけ出していたのだろう。(高山寺住職・曽我部大剛さんより)」