さようならインド

さようならインド

2016年4月8日

無事、ニューデリーに到着。
日本行の飛行機のフライトは深夜。

それまでラウンジでうだうだしていようと思ったのに、チェックインがフライト5時間前からとのこと(記憶が曖昧。3時間前だったかも・・・)。
なんとーーーー。盲点でした。
仕方ないので、くそあっまいチャイをのみのみチェックイン時間を待つことに。

あーあと3時間もここで待つのかーと最初は茫然としたけど、
バラナシで得た時間感覚からか、実際待つことが億劫ではなく、あっという間に時は過ぎていった。

数字で刻まない時間。
バラナシで得た感覚だ。
数字化することでとたんに焦ったり、飽き飽きしたりしてくるものです。

チェックイン時間になったらすぐにチェックイン!!
そして出国審査。

出国審査のブースには1つ1つカメラが設置されているの。
真っ黒いドットが連なっている小さな箱で、その中の1つがホントにカメラのレンズという体。
いわゆるカモフラージュ。
アメリカみたいに、カメラ目線プリーズとかはないんだけど、なんか撮ってるんでしょうね。

すると、出国審査のおじさんが「カメラはどれでしょうかー」と聞いてきた。
「え、この真中のやつでしょ?」素直に答えると、
「wwwwwそんなバカ正直に答えなくていいよ。みりゃわかるもんなwwwww」と爆笑されたw
出入国審査官って、基本無表情だから、一寸緊張するじゃん。そりゃあなた様に尋ねられたら
バカ丁寧に答えますわっ。けど、無表情の人の口角を突如上げることができたのはうれしかったW
teshがアメリカで、しょんべん小僧セーターをセキュリティチェックのお兄さんたちにいじられて笑いとってたの思い出した。

フライトまでラウンジで過ごす。
だけど、くっそあっまいチャイを大量に飲んだのでおなか一杯。
ラウンジの食べ物はほとんど口にせず、ソファーで眠ってた。

そして搭乗。
離陸。

さようならインド。
さようなら。

バラナシでは、タクシーを相乗りしたドイツ人女性に何度となくばったり会った。
彼女たちは、2週間のホリデーよーーー!!!!ひゃっほーだったので、まだインドのどこかにいるだろう。

そういえば、今日、ホテルをチェックアウトするときどんぐりころころお兄さんはいなかったな。
さよなら言えなかったなー。

ボートのお兄さんは明日も朝早くから、朝日を浴びながら観光客をガンジス川にいざなうのかな。
TOMO君は明日も変わらずチャイを淹れて、仲間たちといっしょにバトミントンとかするのかな。

今宵も変わらずプージャは賑わったのだろう。

あのカレーやのおじさんは、コーヒーマシンの使い方に少しは慣れたかしら。

インドで、バラナシで出会った人たちのことが頭をよぎる。

小さいころ、毎晩不思議に思ったことがある。
この世界は結局自分を通じてでしか知ることが出来ないこと。
確かにあの人は存在しているのだけれど、あの人は私が作ったあの人にすぎなくて、
決して私はあの人のことがわからない。あの人が何をどんな風に見て、何を考えてるのか。
うまく言えないけど、、、すごく不思議だった。
人とコミュニケーションはできても、結局わたしは1人。
あの人になれっこないし、一生完璧な理解なんてありえない。
その逆も。わたしは一生、わたしを外から見ることはできない。
不思議!
って、布団の中でたびたび眠れなくなった。

「私がこちら岸にいて、同時に向こう岸にいられないことは、何という不自由なことでしょう。ねえ、そう思し召しませんか?」
(『豊穣の海』春の雪より 新潮文庫158頁)

わたしがインドをたっても、何が変わるわけではない。
わたしがわたしを通じて見てきたインドとお別れなだけだ。

よく、旅行から帰ると「我が家が一番」という人がいる。
不思議と私は、どこに旅しても我が家が一番という感覚になったことがない。
どこにいてもわたしがわたしにつきまとうから。
わたし自身が拠点だから。
いつか、ここが私の生きる場所と思う場所に出会うのでしょうか。

結局、自分が世界の中心なんだ。
くるくると。

ね。

日本に着く。
春の波が押し寄せて、頬が薄紅に火照った。